ABOUT

PROFILE

藤原 隆充

Takamichi Fujiwara

背番号#11

生年月日: 1978年7月16日
出身: 1福岡県北九州市小倉南区
出身: 1福岡県北九州市小倉南区
職業: バスケットボール選手
ポジション: ポイントガード(PG)
身長: 182cm
体重: 81kg
血液型: A型
性格: 温厚・・・と言いたいですが、実は短気で負けず嫌い。
アンフェアなプレイには口も出すが、ヒジも出す。(^_^)
その為、外国人選手からいつも狙われる。

HISTORY

9歳でバスケットボールを始める。
北九州市立守恒中学校を経て、小倉南高校に進学。高校バスケ界では常に福岡の名門、福岡大大濠高校が立ちはだかり、全国大会へは一度も出場できなかった。その後、九州産業大学へ進学。2000年のインカレで1試合最多得点42点を叩き出し、「九産大に藤原あり」とその名をとどろかせた。1試合3P成功本数9本も大会最多となった。
その後は九州学生選抜にも選ばれる。
ただ、知名度は全国区になったものの・・・当時はどこの社会人バスケットボールチームからもお呼びがかからないと思い、韓国リーグへの挑戦を考えていた。転機は2000年、日本初のプロバスケットボールチーム/新潟アルビレックスの誕生だった。
プロチームの誕生に心が湧き立ち、九州産業大学を卒業後、チームトライアウトを経て見事にプロ選手としての道を切り開く。
プロチーム初のプロ新人選手の第1号となる。
更にその年、スーパーリーグの「新人王」に輝き、一級品として評価される。【2005年11月】
JBLを脱退した新潟アルビレックスを中心とした6チームで設立したbjリーグが開幕。【2005-2006年シーズン】
初年度/準優勝にキャプテンとして貢献。【2006-2007年シーズン】
快進撃でスタートダッシュを切ったものの、11月に埼玉戦で左肩関節脱臼(全治2ヶ月)となり、戦線を離脱。
結局シーズンはプレイオフへ進出するものの、新規参入の高松ファイブアローズに敗れ、決勝進出ならず。【2007-2008年シーズン】
シーズン終了後、エクスパンションドラフトにより、滋賀レイクスターズから指名。プロ生活スタートの地である新潟での完全燃焼にこだわり続け引退を考えたものの、周囲の説得に負け移籍。【2008-2009年シーズン】
以降、新規参入チーム「滋賀レイクスターズ」のチーム骨格を作り、地域密着の精神とファンサービスの在り方をクラブ、新人選手達に啓蒙。
その後、滋賀レイクスターズをリーグ屈指のブースターを誇るチームに成長させた功績は今でも語り継がれている。【2009-2010年シーズン】
10月の大阪エベッサ戦で再び右肩を脱臼したが、12月の琉球ゴールデンキングス戦で復帰し、再び主力としてチームを引っ張るも、プレイオフ(カンファレンスプレイオフ)で惜敗し、ファイナル4に進出ならず。【2013-2014年シーズン】
再びカンファレンスプレイオフに進出するも沖縄の牙城を破れずまたも惜敗。

【2013-2014年シーズン】
FA権を行使して新潟に復帰。

【2014-2015年シーズン】
「闘将」としての藤原を再びコート内でお見せします!!とブースターに宣言!!
シーズン序盤は外国人選手の入れ替わりなどでモタついたが、後半にはチームワークがまとまり、怒涛の追い上げを見せイースタンカンファレンス4位を確保。
その後、秋田で行われたファイナル決勝の有明出場をかけたプレイオフで初戦を勝利、翌日の2戦目に敗れたものの、延長の3戦目までもつれ込み、最後の最後残り5秒迄リードしていたが、秋田/田口のシュートで逆転され、ファイナル進出を逃す。この試合で新潟でのシーズンを終了した。

【2015-2016年シーズン】
群馬クレインサンダーズへ移籍。新しいステージに挑む。